私と武道との出会いについて④

さて、新しいN先生もとでの稽古が始まりましたが、道場は稽古はできますが、まだ完全には完成しておりません。

道場生で手の空いている者は、休みの日とかに手伝いに行きました。

池を掘ったり、障子を張ったりしていたものです。

そして、道場開きの日がやってきました。

いよいよ道場開き!

道場開きに合わせてやってきたニューヨークの生徒たちと十数人と一緒に空手のデモンストレーションを行ったのです。

当時私は当然白帯でしたので、基本稽古のみ行い、試し割りや組手はやらずに済んだのですが、それは幸いなことでした。

なにせ身長2m前後体重100キロ前後の巨漢たちを相手の組手です。

しかも、直接体に当てるのです。

極真の時はかなり強い黒帯の先輩がいたのですが、その先輩がわずか2発の突きで道場の板にへたり込んでしまいました。

信じられない光景を目にしました。

相手をしていたのは、インディアン(今はネイティブアメリカンというのですね)の酋長の息子という人でした。

後から聞いた話では、極真の世界大会にも出た人だったそうです。

他の白帯の仲間と白帯でよかったなと顔を見合わせたものです。

巨漢たちだけだった

ニューヨークの生徒は他に弁護士、ビジネスマン、ジュエリーデザイナー、ロック歌手、海兵隊員などいろんな方がやってきてました。

その他180cm体重80キロの高校生が、ニューヨークの黒帯相手に組手をやりましたが、押されながらもファイトあふれる組手で、相手から褒められていました。

武道の世界では、逃げずに立ち向かうその姿勢で相手に認めてもらえるのです。

道場開きの後で、道場生と招待者そしてN先生の親戚友人の間で懇親会が持たれましたが、招待者の中に極真の元全日本チャンピオンがいました。

その試合も私は、東京で見ておりました。

そのチャンピオンに間近に会えるとは思ってもみませんでした。

N先生とは、極真では同期の友人だそうです。

大山倍達はやはり武道家だった

N先生の師匠の大山倍達師範は組織の長なわけで、極真を離れたN先生には連絡を取っていなかったようです。

私はつい最近知ったことですが、N先生が極真を離れて故郷に道場を出すということで、大山師範はもともとそこにあった(私たちが辞めたもので道場生がいなくなってしまった)道場を閉鎖することを責任者に命じたそうです。

そして、N先生の地元に道場を再び出さないように指示したと聞きました。

当時は極真は組織拡大のため、あちこちに支部道場をふやしていたところです。

通常ならば、負けじと道場を死守したはずです。

大山師範がN先生をいかにかわいがっていたか、武道家として認めていたかをこのことがわかってから知ることができました。

N先生が空手に対しいかに真剣に取り組んでいたか、試合中心に進めていた極真とは逆の方向のいざという時に使える武道としての空手を目指していたのです。

それを認めてた大山倍達師範はやはり武道家であったと思います。

大山倍達師範はその死後、いろんな本が出て公には知られていなかった裏の顔などが明らかになっています。

今考えれば巨大な組織の長になってしまった大山師範は一武道家としては生きられなかったのかもしれません。

それゆえに、一空手家として極真を離れ、一人でやることを選んだN先生を認めていたのだろうと思います。

大山師範の根本はやはり武道家であったと、私はN先生とのかかわりの中から、思っています。

私の武道との出会いについて4回にわたって書いてきましたが、N先生の道場での修行についてはまた別の機会に書いていきたいと思います。

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